教育機関が教育を放棄してどうする

履修漏れ問題言いたいことがいろいろあるがこの2つで私の一番言いたいことが代弁されている。
『救済』とう名のゴマカシの尻拭いに大学はもっと怒るべき(辰己丈夫の研究雑報)
どうあがいたってこの学生たちが、高校生として求められている教育をきちんと受けていないという事実は覆らない。そのツケを払うのは大学と社会だ。
それを言っちゃあ…(支局長からの手紙・毎日新聞京都)
今回の事件に関して言い訳めいたことを言い出した高校や教育委員会は、教育を放棄してるといっていい。この記事は親には同情的だが私は親だってこう言った瞬間に教育放棄だと思う。今回は最初頑なだった文科省を政治家が突き崩したように言われているが、政治家もきっと親の陳情を受けた人が多いんだろう。でもここは文科省がもっと突っ張って欲しかった。

本当に教育の効果を考えた上での救済措置というのは、受験そのものは特例で認めても、「仮卒業」扱いにして大学入学後も必要な教育を学生に施すところまで面倒見ることなのではないのか。例えば夏休みには母校に戻って補習を受けるのでもいいくらいだ。あるいは大学で補習してもよい。教科情報に関してはおそらくその方がマシだろう(すでに高校時の情報授業の質によって大学での情報教育の理解度にばらつきが見えてきている現状では、その状態に突入しつつあるが)。