転職(出向)しました

久々に書いてみます。9月末日で京都大学を退職し、本日(厳密には1日付ですが辞令をいただいたのは本日ですので)総務省に入省しました。新しい職場は総務省情報通信国際戦略局通信規格課、官職としては標準化推進官、になります。総務技官です。
以下FAQ。
「なんで?」いまの大学研究者の世界は基本的に自分で公募に応募して異動してゆくものなので、それではあり得ない異動に驚かれる方が多かったです。いや私も驚いていますが。もちろん背景としては組織間のお話し。総務省と京大との人事交流の一環です。私と入れ替わり人事も行われています。ただ、京大には交流人事のための休職制度がないので、退職という形を取りました。前提としてお互い、何年かしたら呼び戻す約束になっているようです(私には上の方でどういう取り決めが行われたか見えていないのですが)。
「なぜ上原が?」組織的には消去法。他に手を挙げるような人がおらず、では行って意味がありそうなのは誰かと消去していったら、私しか残らなかった。私自身、まぁそうかなと思いました。私も最初からそれほど積極的なわけではなかったのですが、あの東北大震災で気持ちが変わりました。今の状況はまさに国難です。大学、特に国立大学は、これまで国民の税金を使ってこれだけの研究をしていながら、この国難に十分役に立てているように見えないのが悔しい。それならば、霞ヶ関と被災地自治体に国立大人員の5%でも招集かけて送り込む国家総動員令みたいなものを発令できないのかと、原発の事故が深刻化した頃に私、某政府高官に言ったことがあります。さすがに無理だと言われましたが…本来それくらいしないと存在意義が問われると、ずっと思っています。でも、できない。ならば私が行ってみようと、手を挙げました。
「メリットあるの?」研究者が生き残るには研究業績をあげないといけません。総務省勤務では研究業績が上がりませんから、基本的には損するだけです。でも私はこれまで、そうして研究だけに没頭すると研究内容が社会と乖離すると思って社会的活動にかなりのパワーを割いてきましたし、自分の研究的興味を考えても、社会的経験を積むことは自分にとって損はないと思っています。なにより、人と違うことがやってみたい、そしてやれることは何にでも手を出したい困った性分。経験値を上げるチャンスと捉えています。
「何やるの?」残念ながら、希望した「震災復興関係の業務」は割り当てられなかったのですが、上原が人一倍働くことで他の適任者が復興関係に就けると考えればいいかと、受け入れることにしました。といっても総務省にとってもこの種の人事はほぼ初めてのケースだそうで、まだ手探りです。上原個人としては、政策決定の場に技術的知見が入ることは決して損にはならないと思っていますので、省内でもそういう場に可能な限りクビを突っ込んでいきたいと思っているのですが、霞ヶ関文化としてなかなか抵抗も大きそうなので、ボチボチやっていくつもりです。
「白浜とか湯沢とかデジタルフォレンジック研究会とかNPOとかはどうするの?」兼業禁止規定の関係で職としては全部退いたのですが、白浜シンポは別の形で?湯沢は個人的に、そしてデジタルフォレンジック研究会は(まだ調整中ですが)省庁からのオブザーバ参加の制度を使ってコミットし続けるつもりですから、また皆さんにお会いできると思います。
ということで、今後ともよろしくお願いいたします。