RFIDを語る

世の中にはいろんな人がいて、いろんな意見がある。特に匿名性とかプライバシーとかになると、人の価値観の幅というものを思い知らされることが多い。この話にはいろんな要素があるが、自分のプライバシーを預ける/知られる可能性がある相手の中に、大企業や政府機関が入ってきたときの反応の差は激しい。徹頭徹尾信用せず絶対に漏らしたくない人もいれば、全面的に信用してしまう人もいる。日本人はどちらかというと後者が多かったと思うのだが、最近は急激に逆方向に振れているようにも思う。私は企業や政府は一応信用して、ただし市民の視点からきちんと監視し時には制御するというのが健全な民主主義・資本主義というものだろうと思うのだが、どうもこの国では市民運動というのは根付かないし、たまに元気な人がいると今度は政府や大企業はとにかく敵だ、の立ち位置から出られない人が多くて閉口することも多い。まぁどう見ても無能なのに権力だけ持ってる困った人が政財界にゴロゴロしてるのを見ると、そうなってしまうのかも知れないけど・・・
それはともかく、こういう対立軸で語られる話の中でRFIDのは監視社会のインフラになるんじゃないかという話がある。米国ではCASPIANが頑張ってるが、日本では目立つ反対団体はないんじゃないかな。この話、いつも気になるのは効率化と管理の論理で動く政財界に対して、とにかく監視に生理的な抵抗感を持つ市民側という構図になってしまって、議論のかみ合う点が全くないことだ。結局は「で、本当はどうなのか」という話を噛み砕いて、論理的にわかりやすく説明できる技術屋が少ないのが問題なんだろう。高木さんはとても頑張ってるけど、彼に続く人がみあたらないのは気の毒だよなといつも思っていた。
そしたら私にも話させてもらえる機会がまわってきたので、千載一遇のチャンスと飛びついた。地域科学研究会というところが主催したセミナー「ICカード・タグ活用のまちづくり近未来」である。結局聴衆は期待に反して自治体の人が少なく財界の人が多い。いかにも「RFIDについて勉強してこい」と企業から送り込まれた感じの人たちがいる。そこで、話の方向をやや修正。さんざRFIDの活用の話が出てきた後なのでとても異色の話になったんじゃないか。例の、子どもを守るためにランドセルに暗号化も何もないアクティブタグをつけるという話がいかに危ないかという話(実は直前に、パッシブタグとはいえ同じようなことをやってる人が喋ったのでちょっと悪いなぁとは思ったんだけど)、いわゆるトレーサビリティ問題のうち「悪意ある第三者はいかにしてトレースするか」のシナリオというやつについて、話させていただいた。狙いは的中、聴衆の反応は悪くなかった。講演後一人の方が来られて、こういう話をしてくれる人が少ないので云々と言って下さった。こういう時は講演者冥利に尽きる。
この第三者トレース問題、今のところリーダライタが普及してないからたいしたことないじゃん、という空気なのだが、こういうことを平気で言える人はタグが5円を目指していれば自然にリーダライタも5000円になるだろうということに気づいていないのか、それとも敢えて口をつぐんでいるのだろうか。私なんか、多分標準化されたタグのリーダはノートパソコンやPDAに標準装備されるだろうと思ってるのだけど。そのときは結局、いかに数字に意味がなかろうと、IDはやはり第三者に読まれないようにしてもらわないと困るのだ。RFIDまくだけまいておいて、第三者読み取り問題が起きたときに何か対処する(というより対処ソリューションを売る)というのでは、マッチポンプというものだ。だいたい私たちは、IT化とかインターネットとか何度も何度もマッチポンプを繰り返してきてしまったのだから、もういいかげんバカでないところを見せないと世間に見捨てられる。
しかし私だって、RFIDでIDそのものを暗号化するのは面倒なことぐらいはわかる。でも不可能なわけではない。だからRFIDは3種類のレベルがあるべき(第三者にIDがわかる、第三者に「誰がIDが読む権利を持っているタグか」がわかる、全く何もわからない)で、さらにアクティブかパッシブかの情報をつけて消費者に提示するべきじゃないのかとあちこちでいっている(確か越後湯沢でも国領先生に質疑応答で言った)。RFIDのプライバシガイドラインに、この件が盛り込まれなかったのはとても残念だが、ことあるごとにこのことは、推進派の技術屋さんに向けて言ってみようと思っている。高木さんには遠く及ばないが、せめて私のできることをやろうと思う。