デジタルフォレンジック体系化の夢

勤務先のセミナーに来ていただいたNPOパンゲアの高崎俊之さんに、名刺交換するなり「デジタルフォレンジックとかされてるんですか?」と言われて目が白黒。分野違いの人の口からこの言葉が突然飛び出たことにびっくりしました。かつて、私の「情報処理」の記事を読まれた津田孝夫先生に、ある日いきなり「面白そうなことしてますね」とか言われたときも腰が抜けそうになりましたが、それ以来の衝撃でした。興味を持っていただいているのは嬉しかったのですが、次の瞬間ちょっと複雑な心境になりました。
何故かと自己分析すると、「デジタルフォレンジックの*何を*やっています」って自分で言えないからじゃないかな、という気がしました。例えばセキュリティだって広い分野ですが、「暗号やってます」とか「マネジメントやってます」とか「情報倫理教育やってます」とか、ある程度体系化された中でこの辺を私は担当していますよ、って言える程度には整理されている気がするのです。でもデジタルフォレンジックにはまだそれがハッキリしてないのです。HDDの消去がどうしたということを言っていても、デジタルフォレンジックの中のここですよ、という絵が自分の頭の中で描けないのがモヤモヤした気持ちの原因かなと。
そんなときに山口英先生にエールをいただいています。
「デジタル・フォレンジック研究会へのエール」(デジタルフォレンジック研究会 コラム)

DF技術が体系化され、属人的な知恵から、学問として移転可能な知見として取り扱われるようになることこそ、学術領域としてDF技術が取り扱われる目的でありましょう。

これは英先生に何度か言われたことがあります。で、こないだは直接反論しました。DF技術の前段たる「情報システム管理技術」というのすら「学問として移転可能な知見」になってないんちゃうの?と。でも言った後で考えましたけど、体系化とまではいえないまでも、ゴッタ煮の技術たるシステム管理にもある程度の色分けが出来ている気がします。それに比べればデジタルフォレンジックはまだまだ色分けすらされていないように思います。もちろん佐々木良一先生がデジタルフォレンジック事典で技術を体系化されましたけど、あれは技術の用途を軸にしているので純粋情報科学屋さんには技術同士の関連性が見えにくいですから、もっと別の切り口をいくつか提供するべき、なんでしょうね。