Winny裁判あれこれ

Winny裁判の一審判決が出て、まぁあれこれといわれているようだ。忙しくてWebでの議論はほとんど追えていないが、この2つは読んだ。
「不 当 判 決」 村井証人証言は僕ら技術者を幸せにしたか(高木浩光@自宅の日記)
「Winny自体は価値中立で有意義」の司法判断、その影響は!?(@IT NewsInsight)
フォレンジックコミュニティでの議論も聞いたが私が耳にしたのはほとんど法律関係からの議論なので、技術屋としてはまだいいたいことがある感じ。なので、最低限だけ書いておこうと思う。
正直私は判決の結果には全く興味がなかった・・・どちらになってもおかしくないし、どちらになっても控訴審は確実にあるだろうから。ただ、コレで有罪が出たら技術の発展に萎縮効果が云々という議論には、かなりうんざりしている。少なくとも私は、自分が開発する技術が社会にどんな影響があるかを常に考えてきたつもりだし、結果に対する責任は、法的にはどうあれ倫理的には負わねばならぬと思っている。萎縮効果云々はその責任からの逃げ口上にしか聞こえない。自分の技術を自信もって社会に問えない人は技術者に向いてないんじゃないか?社会への責任という点において、工学と理学には明快な違いがあるはずだ*1
それより、私がずっと気にかけてきたのは、Winnyというソフトウェアに対する社会の評価であって、それにこの判決を通して法曹界からひとつの結論が出るかもしれないという点が一番気になっていた。
Winnyの作成と配布が(法的にではなくて)倫理的にどうか、という問題は、単なるP2Pファイル共有ソフトウェアを配布したという話ではなくて、匿名機能の実装の動機がどうだったか、利用者がそれをどう支持したか、その後の開発者の行動がどうだったかという点にあると思う。少なくとも初期のユーザーおよびそれ以降のヘビーユーザーが、その匿名性に強い魅力を感じてWinnyに群がり、現在の状況を産んだのはあきらかだ。あとはこの匿名性の実装の動機がどうだったか。その後の行動の意思はどこにあったか。金子氏は少なくとも法廷の場では単なる技術的興味ですとしか話せないはずだが、「47語録」やソフトウェアの構造といった状況証拠的にはかなり黒い。この裁判を通して、その「黒さ」を法廷や社会が理解してくれれば、個人的には法的判断がどう下ろうとどうでもよかったのだけど、議論はあっちいったりこっちいったりしたのでどうにも気持ち悪いまま。判決文全てが手に入るまでにはもう少し時間がかかりそうなのでまだ最終的には判断がつかないが、有罪とはいえ「技術そのものは価値中立」は認められてしまった。これはけっこうガッカリ、というか被告側がんばった甲斐があったねよかったね、だ。要素技術がいくらピュアでも、組み合わせたシステム技術になればずいぶん明確に作り手の意思が入り込む。その作り手の意思がいかに反映されているかは、結局評価されなかった。
まだ先は長いが、これから議論はどこへ行くだろう・・・

*1:私は「理学は神の思し召しを知る学問、工学は人の知の力で神に挑戦する学問だ」と思っている。講義でもしばしばこの話をして、工学倫理にも触れるようにしている。